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2009.09.09

尊厳死

このブログで2回にわたって、「孤独死」の問題を取り扱いました。
http://imurayama.tea-nifty.com/test/2009/08/post-96d5.html
http://imurayama.tea-nifty.com/test/2009/08/2-3aa6.html

そうしましたら、このブログを読んでくださる有難い読者の方2名からコメントをいただきました。そして、お2人とも、「社会問題」としての孤独死よりも、むしろご自身の「死に方」の問題に引きつけてこのテーマをお考えでした。大原麗子さんのように死後2週間も放置される事態は避けたいが、逆に、生命維持装置等で、「死にたいのに死ねない」事態は避けたい、と。

これは、自ら尊厳を持った死に方を選び取る権利を留保したいという「尊厳死」として議論されているテーマです。ただ、死後の世界について万人に納得できる形で説明できる理論はありません。ですから、「死に方を選ぶ=尊厳死」の問題は、「生」の本質とは何か?、人間はどのような状態に立ち至った状態まで「生」きている価値があるのか?という問題と関わってきます。これは、すぐれて哲学的な課題です。

他方で、安易に尊厳死を認めることは、自殺幇助を認めることにつながる危うい面も持っています。最近の脳死を認める論調の裏には、臓器移植を促進したい医師たちの思惑があり、倫理を超えた思惑の行き過ぎには注意を払っておく必要があります。

ただ、私は、基本的に、本人の同意を条件に、尊厳死は認めていくべきだと考えます。もともと、ブラック=ジャックを読んだり、映画「ベティ・ブルー」を観たりして、尊厳死の在り方については色々と考えさせられてきました。しかし、心から肯定できるようになったのは、父の死に立ち会ってからです。今回のブログでは、そのときの状況について触れます。

膠原病で何度か入院を繰り返していた父は、そのときの入院も、風邪をこじらせて高熱が出たために様子を見るといった程度のことでした。ところが、入院後3~4日後、容体が急変し、家族が集まって欲しい旨母から職場に電話が入りました。動転している母の言葉では要領を得なかったため主治医に状況を確認したところ、「1週間か10日後位が山場。場合によっては覚悟してください」との言葉でした。それまで考えたことのなかった「父の死」の現実的な可能性の前に立たされた瞬間でした。

その後、仕事の合間を縫って、自宅から2時間ほどの距離にある病院に出来るだけ通いました。一週間ほどは小康状態を保っており、意識があったりなかったりという状況で、医師や看護師も、「頑張れば大丈夫!」といった明るい展望を持たせるような態度がメインでした。

ところが、死の前日になって、死神は急速に忍び寄って来ました。表面的には分からないのですが、あらゆる数値が急速に悪化してきたのです。この時点で、医師や看護師からは「頑張ってください!」という声は消え、「後は時間の問題・・・」という雰囲気が伝わって来るようになりました。

そして、死の当日、とうとう尿が体内に回り始め、肌は土気色に変わり死相を帯びて来ました。家族全員、必死で「お父さん、頑張って!」と朦朧としている父に叫び続けつつも、もうどうしようもない、という諦めが心を満たしてきていました。

父は、戦後の北朝鮮からの引揚者です。当時10歳だった父は、3歳の弟を小さな背中に背負って、歯を食いしばりながら38度線を越えて来ました。小学校も、片道毎日10キロの道を歩きとおしたと言います。社会人になってからは、メーカーで、海外駐在の先兵として頑張って来ました。

病後は、認知症にならない前は、ノートに毎日、体温・体重・体調等を書き付け、主治医に見てもらう几帳面さを持っていました。それは、「絶対に治ってみせる!」という根源的な生きていく力に裏付けられた努力でした。

亡くなる前の1週間の間も、苦痛に耐えながら、持ち前の忍耐力で必死に頑張っている様子がひしひしと伝わって来ていました。そんな頑張り屋の父であったのですが、刻々と忍び寄る死相にはもはや太刀打ちできない状況がよく分かりました。

こんな状況下で、医師からの最後の確認がありました。
「心停止後の心臓マッサージ等の蘇生は不要ですね?」
以前にも聞かれた内容だったのですが、家族全員、1も2もなく「不要」に賛成しました。だって、お父さん、こんなに必死で頑張ってくれたんだから。最後に、本当に頑張るっていうことはどういうことなのか、文字通り体を張って教えてくれたんだから。

その時が、やってきました。映画でも良く見る心電図が一直線になる心停止です。でも、その後も、最後の不整脈がありました。72年間規則正しく動いてきた心臓が、最後のひと踏ん張り、不規則に何度か動きました。そして、それが最期でした。

父は亡くなる頃には認知症だったので、本人の同意は得られませんでしたが、「蘇生はしない」という尊厳ある死を家族が選択したことになります。医学的なことは分かりませんが、父の亡くなった顔を見てくださった方が「とても穏やかですね」とおっしゃってくださったのは、無理な蘇生を避けたことも影響しているのだと思います。

自らの体験から、尊厳死を肯定する気持ちを強めた瞬間でした。

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